私達の「農ある暮らし」を計画している土地の話し
今回は我々の拠点となる「農家レストラン」建設地「長野市田子」にまつわるお話しです。我々信州人には馴染み深い北国街道1は軽井沢追分から新潟出雲崎まで続く約227kmの街道で佐渡から金を運ぶ「金の道」とか善光寺へ続く「信仰の道」として五街道に次いで重要とされていたようです。



そんな北国街道の新町宿と牟礼宿の中間あたりに田子という集落があり我々の農家レストランも街道筋に面している訳ですがその斜迎えには明治11年の明治天皇北陸巡幸の際小憩された場所が残されています。

上記写真は今回の弊社プロジェクトコンセプトスケッチをお願いしているAIRWORKS藤井さんが調べてくれた明治天皇北陸巡幸の際に使用された鳳輦(ほうれん)2の絵。さらにその一行は右大臣岩倉具視以下の文武百官千人を越える大行列であったそうです。東京を8月30日に出発し9月8日、9日善光寺本坊大勧進にご宿泊、田子には9月10日8時25分頃小憩されその時に田子神社境内の湧水が茶水に供されたとのことです。(これ全て藤井さんが調べてくれました。さらに地域に興味を持つきっかけをいただきました)



ちなみに田子神社の脇を流れる湧水は田子清水と呼ばれ今でも飲料水として利用されており、さらに農家レストラン隣弊社で譲り受けた田んぼに引き入れることができます。地主さんからは「いい水だからできるお米はうまいよ」とおっしゃられていた意味がよくわかりました。貴重な財産を受け継いだので来年からの稲作が楽しみです。稲作に興味がある方はぜひご一緒にいかがでしょうか。
- (北国街道は矢代宿で北国街道松代道と別れ牟礼宿手前の豊野あたりで再び合流する。また新潟の潟町宿近くの上下浜は私の父方のルーツであります。昔シロナガスクジラが打ち上がったお話は有名で信州人にお馴染みの鯨波海水浴場の語源もそこからとったとか) ↩︎
- ほうれんとは天皇の正式な乗り物のこと ↩︎